なぜ豪州で“人工ミルク特許”は無効になったのか?

1. Perfect Day事件に見る「広すぎるバイオ特許」の危険性
近年、「Precision Fermentation(精密発酵)*」という言葉を耳にする機会が増えてきました。
*「精密発酵」とは、特定の物質を作るように設計した微生物を利用して、タンパク質や脂質、酵素、色素などを生産する技術です。

微生物に遺伝子を組み込み、牛を使わずに乳タンパク質を作る…まるでSFのような技術ですが、すでに米国では、こうした“動物を使わない乳製品”を販売するスタートアップが登場しています。

その代表格が、米国企業 Perfect Day 社です。
https://perfectday.com/

同社は、精密発酵の技術により酵母や真菌を利用して牛乳由来タンパク質を生産する技術を開発し、世界各国で特許出願を行っていました。ところが2025年、オーストラリア連邦裁判所は、Perfect Day社の豪州特許について「サポート要件(support requirement)」違反を理由に無効判断を下しました。

しかもこの事件、単なる“人工ミルク特許”の話ではありません。
むしろ、
・バイオ特許はどこまで広く書けるのか
・明細書の実施例とクレーム範囲はどこまで一致している必要があるのか
・「将来的にはできそう」というレベルで権利化できるのか
という、かなり本質的な問題を含んでいます。

2.問題となった特許
問題となったのは、Perfect Day社の豪州特許 AU2015305271B2。
https://patents.google.com/patent/AU2015305271B2/en

請求項1では、ざっくり言えば、
・組換えβ-ラクトグロブリン
・組換えα-ラクトアルブミン
という“ホエイタンパク質”を含む食品組成物を広くカバーしていました。

さらに、
・taste(味)
・aroma(香り)
・mouthfeel(口当たり)
・creaminess(クリーミーさ)
・coagulation(凝固性)
・emulsification(乳化)
など、「乳製品らしい性質」を多数列挙していました。

つまり、「動物を使わずに、乳製品らしい食品を作る」という非常に広い概念を取りにいっていたわけです。

3.裁判所が見た違和感
オーストラリア連邦裁判所は、このクレームについて、「クレームが広すぎる」と判断しました。理由を一言でいうと、「実施例で本当に示されている技術的貢献より、請求範囲がかなり広い」という点です。

特に裁判所が気にしていたのは、「ホエイタンパク質だけで、乳製品らしさ全般を実現できるのか?」という部分でした。

4.実施例でみると、かなり色々入っている!
明細書の実施例を読むと、Perfect Day社は単純に「ホエイタンパク質だけ」を使っていたわけではありません。

実際には、
・カゼインタンパク質
・植物油脂
・脂肪酸
・糖
・ミネラル
・香気成分
・乳化成分
などを組み合わせて、“ミルクらしい挙動”を再現しようとしていました。つまり、実態としては、「人工ミルク全体の設計」に近い技術です。

ところが請求項1は、特定の「ホエイタンパク質」を含む食品組成物という形でかなり広く書かれていました。裁判所は、「実施例では多くの追加成分に依存しているのに、クレームはそこを外して広く取りすぎている」と見たわけです。

5.特に問題視された「カゼインタンパク質」
この事件で重要なのが、「カゼインタンパク質」の存在です。

牛乳タンパク質は大きく、
・ホエイタンパク質
・カゼインタンパク質
に分かれます。

そして実際には、
・凝固
・チーズ様構造
・乳化
・粘性
・クリーミーさ
などの重要な物性には、カゼインタンパク質が大きく関与しています。

しかし問題のクレームでは、「他の乳タンパク質を含まない」という限定がありました。つまり実質的には、「ホエイタンパク質主体でも乳製品らしさを広く実現できる」という範囲を取ろうとしていたとも読めます。裁判所はそこについて、「明細書全体を見ても、その広い範囲を十分に裏付けているとは言えない」と判断しました。

6.豪州の“サポート要件”はかなり厳しい
この事件を理解する上で重要なのが、オーストラリア特許法の「サポート要件」です。オーストラリアでは2012年の法改正(Raising the Bar reforms)以降、「クレーム範囲は、明細書に記載された技術的貢献に見合っていなければならない」という考え方がかなり強化されています。

単に、「理論上できそう」では足りません。
特にバイオ分野では、
・本当にクレーム全域で再現可能か
・実施例から一般化できるか
・発明の貢献範囲を超えていないか
が厳しく見られます。今回の判決は、その流れをかなり強く反映している印象があります。

7.判決文を読むと見えてくること
判決文を読むと、裁判所はかなり丁寧に、
・実施例で何が実際にできているか
・クレームがどこまで広いか
・当業者が全範囲を実施できるか
を検討しています。

特に印象的なのは、
「一部の実施例が成功していること」と、
「クレーム全体が十分にサポートされていること」は別問題、という考え方です。これはAI・バイオ時代の特許実務でも、かなり重要な論点になりそうです。

8.AI・培養肉・精密発酵時代の“広すぎる特許”問題
近年は、
・生成AI
・合成生物学
・培養肉
・precision fermentation
など、“将来的に広く応用できそう”な技術が急増しています。

その結果、「広めに権利を取っておきたい」という動機も強くなっています。
しかし今回のPerfect Day事件は、「実際に開示した技術的貢献以上には広げられない」という、特許実務の基本原則を改めて示した事件とも言えそうです。

9.まとめ
Perfect Day事件は、単なる人工ミルク特許の無効事件ではありません。これは、「バイオ発明はどこまで未来を先取りしてよいのか?」という、かなり根本的な問題を含んでいます。

特にバイオ・AI・食品テックのように技術進化が速い分野では、
・実施例
・サポート要件
・クレームの一般化
のバランスが、今後ますます重要になっていくのかもしれません。

出典1:オーストラリア連邦裁判所の判決文 https://www.judgments.fedcourt.gov.au/judgments/Judgments/fca/single/2025/2025fca0270

出典2:対象特許(AU2015305271B2): https://patents.google.com/patent/AU2015305271B2/en

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この記事を書いた人

Yoshiharu Takahashiと申します。
都内特許事務所に所属する、元食品メーカー研究員の弁理士。化学・バイオ分野を中心に、特許出願、FTO調査、無効資料調査など、(2026年現在)13年以上にわたり知的財産業務に従事しています。
Food Patent Labでは、「食品×知財×経済」をテーマに、食品関連特許や技術動向、知財戦略について発信しています。記事に関するご質問や特許に関するご相談は、お問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。

About the Author
Yoshiharu Takahashi is a Japanese Patent Attorney with over 13 years of experience in intellectual property. On Food Patent Lab, he writes about food-related patents, innovation, and the business impact of intellectual property.

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