ボンカレーの味づくりAIと、現場のノウハウを残すサービスから考える
長年の経験を持つ従業員の退職や、後継者不足による廃業は、中小企業にとって切実な課題です。食品製造の現場では、レシピだけでなく、原材料の状態に応じた調整、加熱や混合の加減、異常の見分け方など、文書にしにくい判断が仕事を支えています。
こうした知識を次の世代につなぐ方法として、AIを使う取り組みが始まっています。一方で、レシピや製造条件、顧客情報などをAIやクラウドサービスに扱わせるなら、情報をどう管理するかも同時に考えなければなりません。今回は、大塚食品の「おいしさLENS」と、AI動画マニュアルサービス「manupi」を例に、営業秘密の基本と技術継承時の注意点を整理します。
ボンカレーの味づくりを支える「おいしさLENS」
大塚食品は2026年6月、琵琶湖研究所が開発した味・レシピ予測AIシステム「おいしさLENS」を、発売58年を迎えた「ボンカレー」で活用し始めたと発表しました。目的は、長年の製品開発で培われた知見をデータとして活用し、親しまれてきた味を次世代へつなぐとともに、新しい味づくりにも役立てることです。
取り組みの出発点は、熟練者が使う「おいしさ」の言葉をそろえることでした。たとえば「カレー感」という言葉でも、研究員によって指す味のイメージが異なることがあります。大塚食品は約半年にわたる研究員へのインタビューと、1,000食以上の評価基準サンプルの試作を経て、「ボンカレーゴールド」の評価に用いる218の表現と16種類の味の評価属性を整備したと説明しています。評価属性ごとの官能評価データと試作レシピデータを組み合わせ、味やレシピを予測する独自モデルを構築しました。
同社は別途、約40年分・数十万ページにのぼる紙の資料をOCRで電子化し、製品開発の記録や資料を検索・参照できるデータベースに集約したとしています。ここは「約40年分の紙資料をすべてAIに学習させた」と誤解しないようにしたい点です。発表資料では、AIモデルの学習に使うものとして官能評価データと試作レシピデータを挙げ、紙資料についてはデータベース化・検索の仕組みとして説明しています。
AIは、原材料が「ボンカレーらしさ」に与える影響を数値で示したり、原材料の調達環境が変わったときに代替原材料や配合を検討する助けになったりします。これは、熟練者の判断を単に置き換えるというより、過去の記録と評価を共有し、検討の手がかりを増やす仕組みと見ることができます。
撮影から手順書を作る「manupi」
もう一つの例が、株式会社イコールコンディションが2026年10月に本格提供を発表したAI動画マニュアルサービス「manupi(マニュピ)」です。スマートフォンなどで作業を撮影しながら説明すると、AIが内容を整理して字幕や文字の手順書を作成します。動画の多言語化やPDF化、QRコードでの共有にも対応すると発表されています。
日々の新人教育に使った短い動画を、将来の引き継ぎにも活用するという発想は、忙しい現場でも知識を記録しやすくするものです。ただし、作業動画には、配合表、機械の設定、仕入先名、顧客情報、工場内の掲示物など、意図せず秘密情報が映り込むことがあります。サービスの機能紹介だけで安全性を判断せず、実際に扱う情報と利用条件を確かめてから使う必要があります。
法律上の「営業秘密」には3つの要件がある
会社にとって大切な情報が、すべて不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるわけではありません。同法第2条第6項は、営業秘密を、秘密として管理されている生産方法・販売方法その他の事業活動に有用な技術上または営業上の情報で、公然と知られていないものと定義しています。実務では、次の3要件で説明されます。
1.秘密管理性:会社が秘密として管理する意思を、情報に接する従業員などが認識できるように管理していること。秘密表示、アクセス制限、秘密保持契約、社内ルールや教育などが手段になります。
2.有用性:事業活動に役立つ技術上または営業上の情報であること。製造ノウハウ、配合、仕入先情報、販売計画などが例になります。
3.非公知性:一般に知られておらず、通常の手段では容易に知ることができないこと。
重要なのは、「社外秘」と書けば必ず営業秘密になる、あるいは秘密保持契約を結べばそれだけで十分、という単純な話ではないことです。誰がどの情報にアクセスできるのか、秘密であることが現場に伝わっているか、情報がどのように保管・共有されているかなど、実態が問われます。経済産業省の「営業秘密管理指針」は、法的保護を受けるために必要となる最低限の水準を示す資料として2025年3月に改訂され、生成AIなど新たな技術動向も踏まえた記載が追加されています。
AIに入力・アップロードする前に確認したいこと
営業秘密に該当する情報を、外部の生成AIやクラウド型マニュアルサービスに入力・アップロードするときは、利用規約や契約条件を確認しましょう。特に、入力データがモデルの学習やサービス改善に使われるか、保存期間や削除方法、運営事業者や再委託先のアクセス範囲、情報漏えい時の通知・責任、利用者側の秘密保持義務との関係は重要です。
経済産業省の資料は、秘密保持義務を負わない外部サービスに営業秘密を入力した場合、利用態様によっては秘密管理性が失われ、営業秘密としての保護を受けられなくなる可能性があると注意を促しています。入力した情報がどのように扱われるかを把握しないまま利用するのは避けるべきです。生成された手順書や回答に秘密情報が含まれる場合、その出力の共有・公開にも注意が必要です。
利用前には、たとえば次の点を確認します。
・入力データをAIの学習・改善に利用するか。利用停止の設定や契約は可能か?
・データの保管場所、保管期間、削除方法、バックアップの扱いはどうなっているか?
・サービス提供者や再委託先がデータにアクセスする条件は何か?
・アカウント、共有リンク、QRコード、退職者アカウントをどう管理するか?
・動画・音声・画像に、秘密の配合や設定値、顧客情報、第三者の情報が含まれていないか?
・誰が何を登録できるか、社内での利用ルールと教育が整っているか?
すべてのAI利用を一律に禁止する必要はありません。公開情報や秘密性の低い作業から始める、固有名詞・配合量・顧客名を伏せる、社内限定環境を選ぶ、契約で学習利用や秘密保持を明確にする、といった方法でリスクを調整できます。秘密情報の保護ハンドブックも、組織の実情に応じた漏えい防止策を考えるための参考資料を示しています。
事業承継では「残す情報」と「渡す相手」を決める
事業承継では、技術を記録することと同時に、その情報を誰に、いつ、どの範囲で引き継ぐのかを設計することが大切です。承継候補者、従業員、外部支援者、AIサービス事業者では、必要な情報も負うべき秘密保持義務も異なります。情報を棚卸しし、営業秘密候補を分類したうえで、アクセス権限、秘密表示、契約、退職・契約終了時の返却や削除まで決めておくと、引き継ぎ後の管理がしやすくなります。
また、ノウハウを特許にするか、営業秘密として管理するかも検討事項です。特許は、要件を満たして出願・登録すれば一定期間、公開を前提とする独占権を得られる一方、出願内容が公開されます。営業秘密は登録を要しませんが、秘密管理性・有用性・非公知性を維持する必要があり、独自に同じ技術に到達した第三者の利用などを一律に止められる制度ではありません。製品を分析すれば容易に分かる技術なのか、社内で長く秘匿できる製造条件なのか、公開による利益と秘密管理の負担を比べて選びます。
AIを使って新しいレシピや製造条件を検討した場合も、AIが使われたというだけで発明者や権利者が自動的に決まるわけではありません。特許庁は、願書に記載する発明者は自然人に限られるとの案内を公表しています。人がどの課題を設定し、どのようにAIを使い、出力をどう選択・改良したかを記録するとともに、従業員の職務発明規程やサービス提供者との契約で、成果物や入力データの取扱いを確認しておくことが実務上有用です。
AIを「記録の入口」にして、秘密管理も仕組みにする
おいしさLENSは、官能評価や試作の知見を共通のデータにし、味づくりの継承と開発を支える事例です。manupiは、現場作業を撮影して教育用のマニュアルにまとめる手間を減らすサービスとして紹介されています。いずれも、属人化した知識を記録・共有しやすくする方向を示しています。
一方、記録と共有が簡単になるほど、秘密情報も複製・共有されやすくなります。AI導入を検討するときは、何を残すのか、誰に見せるのか、どこに保存されるのか、契約終了後にどう消すのかを一緒に決めましょう。技術を次の世代に渡す取り組みを、会社の大切な情報を守る仕組みとセットで進めることが、事業承継の備えになります。
参考資料
・大塚食品 [発売から58年、『ボンカレー』の“いつものあの味”を次世代へ 味・レシピ予測AIシステム『おいしさLENS』開発、技術継承・製品設計に活用開始](2026年6月11日)
・株式会社イコールコンディション [世田谷のパン・食品会社が、廃業で消える技術を残すAIサービス『manupi』を本格提供](2026年10月15日)
・経済産業省 [営業秘密~営業秘密を守り活用する~]
・経済産業省 [AI・データの利用に関する契約ガイドライン/生成AIの利用に関する留意点]
※本記事は、2026年10月28日時点で公表されている資料をもとに作成しています。個別の情報管理や契約については、自社の状況に応じてご検討ください。

