なぜ豪州で「人工ミルク特許」は認められなかったのか?【2026年6月26日更新】

1. Perfect Day事件に見る「広すぎるバイオ特許」の危険性
近年、「Precision Fermentation(精密発酵)*」という言葉を耳にする機会が増えてきました。
*「精密発酵」とは、特定の物質を作るように設計した微生物を利用して、タンパク質や脂質、酵素、色素などを生産する技術です。

微生物に遺伝子を組み込み、牛を使わずに乳タンパク質を作る…まるでSFのような技術ですが、すでに米国では、こうした“動物を使わない乳製品”を販売するスタートアップが登場しています。

その代表格が、米国企業 Perfect Day 社です。
https://perfectday.com/

同社は、精密発酵の技術により酵母や真菌を利用して牛乳由来タンパク質を生産する技術を開発し、世界各国で特許出願を行っていました。ところが2025年、オーストラリア連邦裁判所は、Perfect Day社の豪州特許出願について、サポート要件・開示要件のいずれも満たしていないと判断しました。

しかもこの事件、単なる“人工ミルク特許”の話ではありません。
むしろ、
・バイオ特許はどこまで広く書けるのか
・明細書の実施例とクレーム範囲はどこまで一致している必要があるのか
・「将来的にはできそう」というレベルで権利化できるのか
という、かなり本質的な問題を含んでいます。

2.問題となった特許出願
問題となった特許出願は、Perfect Day社の豪州出願 AU2015305271。
https://patents.google.com/patent/AU2015305271B2/en

時系列をまとめると以下の通りです。
2014年8月 米国優先権主張の基礎出願
2015年8月 豪州出願
2019年8月 明細書補正により、後にClaim 1の根拠となる一致条項(consistory clause)を追加
2019年9月 特許庁の審査を通過し、出願が認可(accepted)され、明細書が公告される
公告後、大手乳業協同組合 Fonterra Co-operative Group Ltd(NZ)が異議申立て
2022年8月 特許庁がサポート要件違反・開示要件違反を根拠として異議審決
2022年9月 Perfect Dayが連邦裁判所に控訴
2023年4月 Fonterraが被控訴人の地位から離脱。以降は特許庁長官が代わって手続に参加
2025年3月 連邦裁判所が、補正後のClaim 1もサポート要件・開示要件のいずれも欠くとして、特許登録に進めないと判決

※豪州の特許制度では、出願が審査を通過すると「認可(acceptance)」されて公告され、その後一定期間内に第三者が異議を申し立てることができます。これは登録前異議(pre-grant opposition)という制度であり、いわゆる「いったん登録された特許」に対する異議ではありません。つまりPerfect Day社のこの出願は、2022年の異議審決の時点でも、そして2025年の本判決の時点でも、まだ特許として登録されていません。今回の連邦裁判所の判決も「この出願は登録に進むべきではない」という判断であり、すでに成立した特許権を覆したわけではない点は、正確に理解しておきたいところです。

豪州特許のClaim 1は、ざっくり以下のような構成でした。
“A food composition comprising:
(i) a recombinant β-lactoglobulin protein and a recombinant α-lactalbumin protein, wherein…;
(ii) one or more sweetening agents;
(iii) ash; and (iv) optionally, one or more lipids., wherein…”

つまり、食品組成物中には、
・組換えβ-ラクトグロブリン
・組換えα-ラクトアルブミン
という”ホエイタンパク質”を含ます。さらに甘味剤・灰分を必須成分、脂質を任意成分とする食品組成物を広くカバーしていました。

さらに、
・taste(味)
・aroma(香り)
・mouthfeel(口当たり)
・creaminess(クリーミーさ)
・coagulation(凝固性)
・emulsification(乳化)
など、「乳製品らしい性質」を17項目にわたって列挙していました。
つまり、「動物を使わずに、乳製品らしい食品を作る」という非常に広い概念を取りにいっていたわけです。

3.裁判所が見た違和感
オーストラリア連邦裁判所は、サポート要件・開示要件について検討した結果、当該出願は特許付与に進むべきではないと判断しました。理由を一言でいうと、「クレームされた発明そのものが、明細書全体が開示している発明とは別物だ」という点です。

特に裁判所が問題視したのは、明細書に書かれている発明と、クレームに書かれている発明が、実はズレているという点でした。これは単に「クレームが広すぎる」という話ではなく、もっと根本的に「クレームされた組成物の作り方が、そもそも明細書のどこにも書かれていない」という話です。

4.実施例を見ると、全部「カゼイン入り」だった
ここがこの事件のもっとも重要なポイントです。明細書には9つの実施例が記載されていますが、そのすべてがカゼインタンパク質を含む組成物についてのものでした。植物油脂や糖、ミネラル、香気成分なども組み合わされており、実態としては「カゼイン+ホエイ(ALA・BLGなど)を中心とした人工ミルク全体の設計」に近い技術です。

ところが、Perfect Day社が最終的に主張したClaim 1は、”and (wherein) the food composition does not comprise any other milk proteins than those in (i)”との限定、すなわち「食品組成物が、組換えβ-ラクトグロブリン及び組換えα-ラクトアルブミンの2種類のみを乳タンパクとし、カゼインを含む他のタンパクは一切含まない」というかなり厳格な限定を伴うものでした。

つまり構図としては、
明細書・実施例の開示:カゼインを必須として含む組成物(ホエイは追加してもよい)
・Claim 1:カゼインを完全に排除し、ホエイタンパク質2種のみとする組成物
という、真逆の方向の発明になっていたのです。明細書の中には、審査段階で追加された一致条項(Claim1とほぼ同じ文言の一文)以外に、「カゼインなしでホエイタンパク質だけの組成物」を裏付ける記載が実質的に存在しませんでした。

5.特に問題視された「カゼインタンパク質」の役割
牛乳タンパク質は大きく、
・ホエイタンパク質
・カゼインタンパク質
に分かれます。

そして実際には、
・凝固
・ミセル構造
・乳化
・粘性
・クリーミーさ
などの重要な物性には、カゼインタンパク質が大きく関与しています。

明細書自体も、「十分なカゼインが存在しなければミセルは形成されず、ミセルはミルクの最適な挙動にとって非常に重要である」と明記していました。つまり出願人自身が、カゼインの重要性を明細書の中で繰り返し説明していたのです。

それにもかかわらず、Claim 1はカゼインを完全に排除する組成物を対象としていました。裁判所は、「カゼインなしでどうやって同様の物性(構造・食感・凝固性など)を再現するのか、明細書はまったく手引きを与えていない」と指摘しました。専門家証人として出廷した乳業科学の専門家(Tong教授)も、明細書の記載に従って一から組成物を作ることはできず、自身の専門知識でカゼイン不在による”欠落”を補って初めて、ようやく1つの特性を持つ組成物を作れた、と証言しています。

6.もう一つの盲点:「one or more」というクレーム表現
この事件には、もう一つ実務上重要な論点があります。クレーム1は、17項目の「乳製品らしい性質」について、“one or more”(1つまたはそれ以上)という表現を使っていました。

Perfect Day社は、「これは“1つだけ満たせばよい”という意味であり、17項目すべてを満たす必要はない」と主張しました。しかし裁判所は、文言どおりに解釈すれば、1つだけの場合だけでなく、複数、さらには17項目すべてを満たす組成物までクレームに含まれる、という広い解釈を採用しました。

この解釈が、サポート要件・開示要件の判断にも直結します。専門家証人は、「全特性を同時に再現する課題は“tremendous(計り知れない)”」と証言しており、裁判所は、クレームが広く解釈される以上、その広い範囲全体について明細書が裏付け・開示を与えていなければならないと判断しました。

ここから得られる実務上の教訓は、「one or more」という何気ない表現が、後になって予期しないほど広いクレーム解釈を招き、それがサポート要件・開示要件の判断に跳ね返ってくる、という点です。クレームドラフティングの段階で、「列挙した特性のうち何個まで同時に満たす想定なのか」を明確にしておく重要性を示す事例といえます。

7.豪州の“サポート要件”はかなり厳しい
この事件を理解する上で重要なのが、オーストラリア特許法の「サポート要件」(特許法第40条(3))です。オーストラリアでは2012年の法改正(Raising the Bar reforms)以降、旧来の「fair basis(公正な基礎)」要件から「support(サポート)」要件に置き換えられ、「クレーム範囲は、明細書に記載された技術的貢献に見合っていなければならない」という考え方がかなり強化されています。

単に「クレームに対応する一文(一致条項)が明細書にある」では足りません。特にバイオ分野では、
・本当にクレーム全域で再現可能か
・実施例から一般化できるか
・発明の貢献範囲を超えていないか
が厳しく見られます。今回の判決は、その流れをかなり強く反映している印象があります。

8.判決文を読むと見えてくること
判決文を読むと、裁判所はかなり丁寧に、
・実施例で何が実際にできているか
・クレームがどこまで広いか(「one or more」の解釈含む)
・当業者が全範囲を実施できるか
を検討しています。

特に印象的なのは、「一致条項の文言とクレームが一致していること」と、「クレームが明細書全体によって実質的に支持されていること」は別問題、という考え方です。これはAI・バイオ時代の特許実務でも、かなり重要な論点になりそうです。

9.AI・培養肉・精密発酵時代の“広すぎる特許”問題
近年は、
・生成AI
・合成生物学
・培養肉
・precision fermentation
など、“将来的に広く応用できそう”な技術が急増しています。その結果、「広めに権利を取っておきたい」という動機も強くなっています。
しかし今回のPerfect Day事件は、「実際に開示した技術的貢献以上には広げられない」という、特許実務の基本原則を改めて示した事件とも言えそうです。とりわけ、
・明細書の実施例とクレームの方向性がズレていないか(今回はカゼイン有無で正反対)
・列挙した特性のうち、どこまでを同時に満たす想定なのか(”one or more”の解釈リスク)
という2点は、今後のバイオ・フードテック特許のドラフティングにおいて、改めて意識しておきたいポイントです。

10.まとめ
Perfect Day事件は、単なる人工ミルク関連の特許出願事件ではありません。これは、「バイオ発明はどこまで未来を先取りしてよいのか?」という、かなり根本的な問題を含んでいます。

なお、本件はあくまで出願段階での争いであり、2025年3月の判決時点でもPerfect Day社の豪州出願は登録されていません。今後、当事者間でさらなる補正の機会等が協議される見込みです。

特にバイオ・AI・食品テックのように技術進化が速い分野では、
・実施例
・サポート要件
・クレームの一般化
のバランスが、今後ますます重要になっていくのかもしれません。

出典1:オーストラリア連邦裁判所の判決文 https://www.judgments.fedcourt.gov.au/judgments/Judgments/fca/single/2025/2025fca0270

出典2:豪州出願 AU2015305271(公告時の明細書はAU2015305271B2として公開)https://patents.google.com/patent/AU2015305271B2/en

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この記事を書いた人

Yoshiharu Takahashiと申します。
都内特許事務所に所属する、元食品メーカー研究員の弁理士。化学・バイオ分野を中心に、特許出願、FTO調査、無効資料調査など、(2026年現在)13年以上にわたり知的財産業務に従事しています。
Food Patent Labでは、「食品×知財×経済」をテーマに、食品関連特許や技術動向、知財戦略について発信しています。記事に関するご質問や特許に関するご相談は、お問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。

About the Author
Yoshiharu Takahashi is a Japanese Patent Attorney with over 13 years of experience in intellectual property. On Food Patent Lab, he writes about food-related patents, innovation, and the business impact of intellectual property.

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