8月のある日の午後、焼けつくような強い日差しが道を白く照らし、時計は13時を指していた。私は暑さを避けるため、コンビニの自動ドアを抜けた。しかし外の熱気は、私より素早く店内に流れ込んだ。店内の冷気は、まるで監視の目のように肌に纏わりついた。右手中央の縦長のアイスケース。そこに雪見だいふくが整然と並んでいる。白い外装、統一された間隔、完璧な配列──まるで兵士のように規律正しく。
「ココロもまんまる」──パッケージ右上の8文字は、まるで党のスローガンのように、静かにこちらを見つめていた。この小さく白い物体が、日本のアイス業界の勢力図を塗り替えた。それは1981年、一つの特許出願から始まった物語である。
今回扱うのは、株式会社ロッテの雪見だいふくに関する特許第1537351号である。出願は1981年5月。当時のアイス業界は、まさに階級社会そのものだった。既得権益は先行の乳業大手の手中にあり、彼らは市場を分割統治していた。ロッテは後発組──革命を企てる反体制勢力のような存在だった。
権力者たちは冷ややかだった。「菓子屋がアイスなど」──そんな嘲笑が業界に響いていたに違いない。しかし、ロッテの技術者たちは、ある真理に到達していた。四季を通じて愛される大福餅。その中身のあんをアイスに置き換える──単純にして革命的なアイデアだった。
だが現実は非情だった。餅は冷凍すれば石のように固くなり、解凍すればアイスが溶ける──それが動かし難い物理法則だった。矛盾。パラドックス。まさに「ダブルシンク」*の世界である。
*「ダブルシンク」:『1984年』の作中、相反する二つの信念を同時に受け入れる概念。
発明者らは研究室で、真理省の職員のように黙々と実験を重ねた。もち米デンプン等のアミロペクチンに糖と水を加え、加熱して得られる粘弾性物──この物質が、あの矛盾を解消することを発見した。冷凍状態でも柔らかさを保つ。まるで自然法則を欺くかのような技術だった。
1981年5月、この発明は特許庁に送り込まれた。出願番号は特願昭56-080771。数字は冷たく、感情を排除していた。
しかし権力は簡単には屈しなかった。出願公告の翌年、まるで免疫システムが異物を攻撃するかのように、7件もの異議申立てが殺到した。業界の圧力か、それとも純粋な技術的疑義か──真実は沈黙している。
拒絶査定──ロッテの夢を打ち砕くかに見えた。
1985年、ロッテは最後の武器を抜いた。拒絶査定不服審判請求。特許法という名の戦場で、最終決戦が始まった。補正を経て、4年にわたる審理。その間、技術者たちは何を思っていたのか。経営陣は投資回収の可能性を信じ続けていたのか。記録は語らない。
そして1989年12月、運命の日が来た。特許審決──その瞬間、雪見だいふくの運命が決まった。
審決理由には、補正された請求項1が記されている。
「略アミロペクチンより構成されるでん粉と糖類と水との混合加熱により得られる粘弾性物にてアイスクリーム類を直接全面被覆することを特徴とする被覆アイスクリーム類。」
この冷たい用語の羅列の中に、勝敗を分けた4文字の補正が潜んでいた。
「直接全面」
異議申立人が持ち出した引用例3には、確かにアイスを求皮で包む菓子が記載されていた。だがそれは雪見だいふくの構造と相違していた。求皮はチョコレートやクリーム層という中間層を守る外装にすぎず、アイスクリームを直接、全面的に包むものではなかった。
特許庁の審判官は、厳格に認定した:
「求皮でアイスクリーム類を直接全面被覆するかどうかの上記構成上の相違によって、・・・本願発明は、丁度大福餅のように全体に手づかみで持ち、可食性被覆皮である粘弾性物とともに中身のアイスクリーム類を食するものであり、その際、被覆皮の粘弾性により適当な歯切れも感得し得るのである。」
4文字の補正が、雪見だいふくの運命を変えた。言葉の持つ力──それはまさに「ニュースピーク」*の逆転現象だった。
*「ニュースピーク」:『1984年』の作中、全体主義体制国家が思考を制限するために編み出された簡略化された言語体系。
求皮(求肥)は平安時代から存在する和菓子素材である。千年の歴史を持つ伝統が、20世紀の特許法廷で現代企業の武器となった。過去と現在の奇妙な共謀──歴史は時として皮肉な顔を見せる。
特許権は20年間続いた。その間、雪見だいふくは市場を支配し続けた。コンビニのアイスケースは、まるで党の監視塔のように、この白い物体を守り続けた。
そして今日もまた、あの標語が消費者を見つめている。
「ココロもまんまる」
冷凍庫の向こうから、沈黙のまま。まるでビッグブラザーのように、我々の欲望を監視しながら。
外は相変わらず暑い。だが店内には人工的な冷気が満ちている。私たちは暑さから逃れるためにここに来るが、同時に消費の罠にも足を踏み入れる。選択の自由があるようでいて、実は巧妙に誘導されている──それが現代社会の真実なのかもしれない。
コンビニを出る時、振り返ってみた。雪見だいふくのパッケージが、まだこちらを見ていた。その視線の先には、1981年から続く長い物語があることを、今では私も知っている。
「1984年」のジョージオーウェル味を出してみました。ディストピア感が出て、少しでも涼しく感じられたら幸いです。なお、本記事ではビッグブラザーの標語として用いた「ココロもまんまる」に関して、キャッチコピーの本来の意味は、公式HPによると「食べた人のココロがまぁるくなりますように・・・という想いが込められて」いるそうです。
出典1:特許情報プラットフォーム 特許第1537351号
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-S56-080771/10/ja
出典2:特許情報プラットフォーム 引用例3
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-S27-012494/20/ja
出典3:株式会社ロッテ公式HP
https://www.lotte.co.jp/products/brand/yukimi/