【米FDAの最近動向】動物実験の時代は終わるのか? 〜医薬品開発と特許制度に訪れる静かな革命~

こんにちは。弁理士の高橋です。2025年4月、アメリカ食品医薬品局(FDA)が発表した新方針は、医薬品開発の世界に大きな衝撃を与えました。これまで新薬を市場に出す際の「当たり前」だった動物実験を、段階的に廃止するというのです。最初の対象は、がんや自己免疫疾患などに使われるモノクローナル抗体。将来的には、すべての薬剤の評価方法を見直す方向に進む可能性もあります。

出典1:U.S. Food and Drug Administration, “FDA Announces Plan to Phase Out Animal Testing Requirement for Monoclonal Antibodies and Other Drugs”
https://www.fda.gov/news-events/press-announcements/fda-announces-plan-phase-out-animal-testing-requirement-monoclonal-antibodies-and-other-drugs

この方針転換は、単に試験手法の技術的なアップデートにとどまらず、薬の開発・承認プロセス、さらには知的財産の取り扱いにも影響を及ぼすと考えられています。医薬品の「証明の仕方」が変わるなら、当然「特許の取り方」も変わるからです。

本記事では、FDAの動きの概要と、それが将来的に特許制度に与えうる影響について、少し踏み込んで考察してみたいと思います。

1.動物実験の「終わりの始まり」
従来、新薬の開発では、まずラットやサルなどの実験動物を使って毒性や有効性を検証するのが標準的なプロセスでした。これは「人間に投与する前に、安全性を動物で確認する」という、安全性確保の基本的な考え方に基づいています。

しかし近年、この前提が揺らいでいます。動物と人間の免疫系や代謝経路には大きな違いがあるため、動物試験の結果が必ずしも人間に当てはまるとは限らないからです。特に、ヒト型に最適化されたモノクローナル抗体のような医薬品では、マウスやサルでの反応が実際の患者の反応を反映しないことも多く、「本当に意味があるのか?」という疑問が研究者の間で広がっていました。

出典2:Cambridge University Press, “The Flaws and Human Harms of Animal Experimentation”
https://www.cambridge.org/core/journals/cambridge-quarterly-of-healthcare-ethics/article/flaws-and-human-harms-of-animal-experimentation/78D1F5E6B65AE7157B7AA85FF3F06017

さらに、動物実験は時間も費用もかかります。抗体医薬のような分子の複雑な薬剤では、非ヒト霊長類(特にサル)を使った数カ月におよぶ毒性試験が必要であり、そのコストは数千万円から億単位になることも珍しくありません。そこに加えて、動物福祉の観点からの批判や社会的な倫理意識の高まりもあり、FDAはついに方向転換を打ち出したのです。

2.新たな評価軸「NAMs」の登場
FDAが今回の発表で強調したのが、「NAMs(New Approach Methodologies)」と呼ばれる、動物実験に代わる新しい評価手法の活用です。これには、ヒト由来の細胞や臓器モデルを使った in vitro(イン・ビトロ)試験、AIを活用したシミュレーションによる in silico(イン・シリコ)試験、そして既存の臨床データやリアルワールドデータ(RWD)を活用した解析などが含まれます。

特に in silico モデルの進化は著しく、近年では毒性予測や薬物動態の推定、さらには抗原抗体の結合予測まで、AIによってかなりの精度で再現可能になってきました。こうした技術が確立されていくことで、「人間のための医薬品は、人間のデータや人間に近いモデルで評価すべきだ」という声が現実的なものとなりつつあります。

FDAは2025年内に、こうした新手法によって評価された抗体医薬の開発を対象としたパイロットプログラムを開始する予定です。この結果を踏まえて、段階的に適用範囲を広げていく計画だとされています。

補足:in silico試験に関連する特許例-特許第6941353号
この特許は、AIを用いた化合物の毒性予測に関する発明です。
従来、毒性予測はin vitro又はin vivo試験などに依存していましたが、定性的な判定にとどまり、構造との関係性や化合物間の優劣比較が困難でした。この発明では、対象の化合物の構造から、最適化された3次元分子構造を生成し、分子記述子(分子の特性などの特徴量を数字に変換したもの)を算出した上で、毒性の有無の確率(毒性あり+なし=100%)を出力します。
これによって、化合物の評価や新規化合物開発の効率化、動物実験削減といった利点が得られ、毒性予測の実用性と信頼性が飛躍的に向上します。

出典3:特許情報プラットフォーム
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-6941353/15/ja

3.将来、特許制度はどうなるのか?
このような科学と制度の進化を目の当たりにすると、自然に次の疑問が湧いてきます。それは、「特許制度においても、in vivo 試験(動物実験)の開示は今後不要になっていくのか?」という問いです。

日本や米国の特許実務において、医薬品分野では今なお in vivo のデータが重要視されています。とくに、抗体医薬や低分子創薬などにおいては、薬の効果が予測困難とされるため、その効果を実証するために in vivo の実験結果が強く求められる傾向があります。

米国では、実施可能要件(enablement)や記載要件(written description)が非常に厳格に判断されるため、単なる理論的な構造や予測モデルだけでは、発明の成立が認められないことが多いのが実情です。日本でも、薬効を主張する場合には、一定の「裏付け」が求められます。現段階では、in silico データだけでは審査を通過するのが難しい局面が少なくありません。

4.科学的信頼が、制度を揺り動かすとき
しかし、その流れにも変化の兆しがあります。近年では、in silico モデルによる解析結果を補強資料として出願書類に添付する例が増えており、とくにAIを用いた抗原予測モデルや毒性予測モデルなどは、一定の科学的信頼性を持つものとして扱われ始めています。

欧州特許庁(EPO)ではすでに、こうしたデータを評価に取り入れる柔軟な姿勢を見せており、米国でも個別のケースにおいては in silico データが有効な補足資料として受け入れられる例が出てきています。日本でも、創薬系スタートアップが AI予測やバーチャルスクリーニングを活用して出願を行い、審査官と技術的な議論を行っている例が出てきました。

特許制度は、常に科学技術の進歩に対応して変化していく制度です。現状ではまだ過渡期にあるものの、FDAのような規制当局が in vivo を不要とする方針を正式に採用した以上、特許庁もその流れを無視し続けることは難しいでしょう。

in vivo / in vitro / in silico 比較表

項目in vivo(イン・ビボ)in vitro(イン・ビトロ)in silico(イン・シリコ)
意味生体内での実験(例:動物実験)試験管内での実験(例:細胞培養実験)コンピュータ内でのシミュレーション(例:AIによる予測)
実験対象動物(マウス、サルなど)、まれに人間細胞、組織、酵素、受容体などデータ、アルゴリズム、仮想モデル
現実性(生体再現性)非常に高い(全身の反応を観察可能)中程度(特定の細胞・機能に限定)変動あり(モデルの精度・訓練データに依存)
コスト非常に高い(動物の飼育・管理などが必要)中程度(試薬・培養機器のコスト)比較的低コスト(設備不要、計算リソースのみ)
所要時間長い(数週間〜数か月)数日〜数週間数分〜数時間
倫理的配慮高く求められる(動物福祉問題)中程度(ヒト細胞由来の場合は倫理審査あり)ほぼ不要
規制当局の信頼性評価高い(従来からの標準)中〜高(用途による)現時点では補足的扱いが主流(進化中)
主な用途有効性・毒性の最終確認、薬物動態の把握作用機序の確認、初期スクリーニング構造予測、スクリーニング、毒性・薬理予測
最近の傾向段階的に削減の方向(FDAの方針など)拡張中(ヒト由来オルガノイドなどが注目)急速に進化・実用化が進む(AI創薬など)

5.これからの知財戦略に求められること
では、このような変化に直面したとき、私たちはどのような知財戦略を採るべきでしょうか。

第一に、in silico や in vitro のデータは、現時点でも明細書の説得力を高める要素として積極的に取り入れるべきです。たとえそれだけで効果を完全に裏付けるには至らなくても、「予測可能性」や「発明の技術的背景」を説明する材料としては極めて有用です。

第二に、制度の変化を敏感にキャッチし、審査基準やガイドラインの改訂に対応して戦略を柔軟に見直すことが求められます。特にバイオ医薬やAI創薬の分野では、数年単位で出願実務のルールが変わっていく可能性が高いため、過去の成功事例に頼りすぎるのは危険です。

そして第三に、規制と知財の「接点」を意識すること。FDAやEMAといった規制当局が何を重視し始めているのかを理解することが、知財戦略の方向性を考える上でも極めて重要になるでしょう。

6.まとめ:科学が変われば、制度も変わる
FDAが打ち出した動物実験廃止の方針は、単なる技術的な見直しではありません。それは、医薬品開発の根本的な思想、すなわち「どうやって人間に安全な薬を届けるか」という哲学の変化を意味しています。そして、その変化はやがて、特許制度というもう一つの制度の土台をも揺るがしていくはずです。

科学の進歩が制度を変える。それはいつの時代も変わらぬ真理です。私たちは今、その真理のまっただ中に立っているのかもしれません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

takahashi(高橋)と申します。弁理士として12年以上、特許出願・FTO調査・無効資料調査など、累計2,000件以上の案件を担当。化学・バイオ分野を中心に、国内外の知財戦略をサポートしています。

食品・知財・投資の交差点から現場の知見を発信中。記事へのご質問や国内特許・海外特許のご相談は、お問合せフォームよりお気軽にどうぞ。

目次