クラシエ公式HPによると、子どもたちの笑顔が見たくて、時々スーパーでお菓子の実演販売をしているという魔女さん。
その実演販売は、単なる販促活動にとどまらず、子どもたちとのふれあいを通じて、「手を動かして作る楽しさ」や「不思議な変化への好奇心」といった体験を提供する、まさに“知育菓子”の象徴とも言えるものでした。
出典1:クラシエ公式HP
https://www.kracie.co.jp/foods/okashi/chiiku/room/friends/?utm_source=chatgpt.com
「ねるねるねるね」の製法を初めてCMで実演して見せたのは1986年。それ以来24年間、魔女さんは実演を通じて全国の子どもたちにこのお菓子の楽しさを伝えてきました。その結果、この製法は広まり、今ではスーパー、駄菓子屋、コンビニなど、日本中どこでも「ねるねるねるね」を買って作ることができます。
でも、それだけでは終わりません。
2022年、クラシエと国立成育医療研究センターの研究者らは、「ねるねるねるね」の技術を応用・発展させ、「おくすりパクッとねるねる」という新しい発明を完成させ、特許を取得しました(特許第7454619号)。
出典2:特許情報プラットフォーム
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-7454619/15/ja
出典3:クラシエ公式HP
https://www.kracie.co.jp/products/foods/10187838_21123.html
1.この特許の中身とは?
従来、子どもに薬を飲ませるための補助食品として、ゼリーやチョコレートが使われてきましたが、どれも苦味を完全には隠せず、「薬を嫌がる」「吐き出す」といった課題が残っていました。
そこで本特許では、糖質・酸・炭酸・泡沫安定化剤を含む特殊な粉末組成物を開発し、水を加えてかき混ぜるだけで発泡性の泡が発生し、その泡が薬剤を包み込むことで、苦味を強力にマスキングできるという技術が開示されました。
これはまさに、「ねるねるねるね」の仕組みを医療用途に応用した技術と言えるでしょう。
つまり、ねるねる博士と魔女さんの夢が、医薬を開発する現場にまで届いたのです。
めでたし、めでたし……。
2.魔女さんのセリフと「先行技術」の話
さて、ここからが本題です。
魔女さんのCMでの名セリフをご存じでしょうか?
『ねるねるねるねは・・・
ヘッヘッヘ・・・
ねればねるほど色が変わって・・・
こうやってつけて ・・・
うまい!!
テーレッテレー♪
ねっておいしいねるねるねーるね』
この実演の中では、発泡体が出来上がる様子が視覚的に示されており、見る人に対して製品の一部の製造工程(撹拌と反応)が開示されていたと考えることができます。
ところが、重要なことがひとつあります。
CMの中では、「粉末自体をどうやって作るのか」という工程(製法)は一切明かされていません。
ここで、ひとつ仮定を立ててみましょう。
魔女さんがある日、「あっ、粉の作り方って、見せちゃいけなかったんだ!」と気づいたとします。慌てた魔女さんは、他の菓子メーカーの研究者たち(=当業者)に魔法をかけ、粉末の製法を完全に秘匿化してしまいました。つまり、製品は市販されていても、専門家である当業者ですら粉末の成分や製法を再現できない状態です。
3.それでも「先行技術」と言えるのか?(EPC第54条)
欧州特許条約(EPC)第54条第2項には、以下のように定められています:
“The state of the art shall be held to comprise everything made available to the public by means of a written or oral description, by use, or in any other way, before the date of filing of the European patent application.”
和訳:
「最新技術水準」とは、欧州特許出願の出願日前に、書面または口頭による説明、使用、またはその他の方法で公衆に利用可能となったすべてのものを含むものとみなされる。
出典4:EPO
https://www.epo.org/en/legal/epc/2020/a54.html
この「公衆に利用可能(made available to the public)」の意味については、実務上長年議論がありました。特に論点となるのが、製品が市販されていた場合でも、その構造や組成が明確でなければ先行技術と見なせるのか? という点です。
欧州特許庁の拡大審判部(最高司法機関)におけるかつての有名な審決 G 1/92 では、「製品が出回っていても、当業者がその技術内容を把握可能であること」が求められていました。つまり、再現可能性が、先行技術として認めるための重要な要素だったのです。
4.そして2025年、G 1/23(Solar Cell)決定が転換点に
ところが、2025年7月2日、拡大審判部はこの見解を大きく転換しました。
それが、G 1/23(通称:Solar Cell事件) です。
出典5:EPO
https://www.epo.org/en/case-law-appeals/communications/press-communique-2-july-2025-concerning-decision-g-123-solar-cell
https://link.epo.org/web/case-law-appeals/Communications/G_1_23_Decision_of_the_Enlarged_Board_of_Appeal_of_2_July_2025.pdf
この決定では、次のように判断されました:
・市販された製品が、出願日前に当業者によって取得・使用可能な状態にあったのであれば、それは「公衆に利用可能」とみなされる。
・製品の分析が困難であっても、つまり再現可能性がなくても、それは先行技術に該当する。
・よって、G 1/92の「再現可能性」要件は、法的には不要であると明確に示されました。
この決定は、EPC第54条の「公衆に利用可能」の解釈をより広くとらえるものであり、欧州における新規性判断における大きな転換点となりました。
5.まとめ:「ねるねるねるね」はやっぱり先行技術!
この判断をふまえれば、仮に「ねるねるねるね」の粉末の製法が秘密にされており、当業者がその成分や工程を再現できない状態だったとしても、製品が市販され、入手可能な状態にあった時点で、それは先行技術として認められるということになります。
つまり、「おくすりパクッとねるねる」が欧州で特許出願された場合、その審査過程では「ねるねるねるね」が有効な先行技術として引用されうるのです。
ねるねる博士と魔女さんが広めた「ねる文化」は、ただの遊びにとどまらず、知的財産の世界でも大きな意味を持つ存在だったのかもしれません。
めでたし、めでたし……。でも知財の話はつづく。