こんにちは。
特許実務に携わる方であれば、毎日お世話になっている特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)。
このJ-PlatPatを使えば、明治時代から現在に至るまで、特許庁が発行してきた特許などの公報を無料で閲覧することができます。
出典1:特許情報プラットフォーム
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/
さて、日本には戦前から続くロングセラー食品が数多く存在します。
今回はその中の一つ、アサヒグループ食品の「エビオス錠」について、特許の観点から調べてみました。
1.エビオス錠とは?─90年以上の歴史をもつ日本のロングセラー栄養補助食品
「エビオス錠」は、日本で90年以上にわたって愛され続けている栄養補助食品です。現在はアサヒグループ食品が製造・販売しており、胃腸の調子を整える製品としてドラッグストアなどで手軽に購入できます。
その主成分は「乾燥酵母(ビール酵母)」で、ビタミンB群、タンパク質、ミネラル、アミノ酸などの栄養素が豊富に含まれています。特に、胃腸の働きを助けることから、便秘や食欲不振、栄養補給、さらには妊娠・授乳期の栄養補助など、幅広い世代に支持されています。
出典2:特許情報プラットフォーム 特許第71618号「栄養剤の製造方法」
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-71618/15/ja
出典3:アサヒグループ食品公式HP 「エビオス錠の歴史」
https://www.asahi-gf.co.jp/special/ebios/ebiosjyou/about/history/
2.特許にみるエビオス錠のルーツ:特許第71618号とは?
エビオス錠のルーツの1つは、大正15年(1926年)に出願され、昭和2年(1927年)に登録された「栄養剤の製造方法」(特許第71618号)にあります。
この特許では、麦芽粉末を用いて酵母を乾燥・加工する独自の製法が記載されており、有効成分を損なわず、保存性や風味、栄養価を高めるという画期的な内容でした。
この時代背景を考えると、エビオス錠は単なる健康食品ではなく、日本における栄養学や製薬技術の黎明期を象徴する“知的財産”のひとつと言えるでしょう。
3.明細書から読み解く当時の技術内容(読みやすい現代風版)
以下は、特許第71618号(出典2)の明細書の現代風の記載です。幾つかの段落に分けつつ、気が付いたポイントをまとめていきます。
『本発明は、麦芽粉末を薄い層状に広げて加熱・攪拌しながら、あらかじめ濾過および圧搾を行った酵母を少量ずつ加えていき、徐々に添加を続けつつ乾燥を行い、最終的に酵母の含有量を適切な割合に調整しながら十分に乾燥させた後、これを破砕して粉末化することにより得られる栄養剤の製造方法に関する。
本発明の目的は、酵母に含まれる有効成分をできる限り損なうことなく保持し、さらに麦芽に含まれる有効成分も活用してその効果を高めるとともに、酵母特有の不快なにおいを取り除いて風味を良くし、吸湿性がなく長期保存に適した栄養剤を得ることにある。』
気が付いたこと:
・形式的なことなのですが、明細書冒頭で発明の課題と解決手段を述べておくスタイルは分かり易くて好感が持てました。本記載が現行の「要約書」の代わりになっているのかもしれません。
『発明の詳細な説明 従来、国内外で市販されていた酵母製品は、いずれも複雑な化学的処理が施されていたため、酵母に含まれるすべての有効成分を十分に活用することができないという問題があった。例えば、「ビタミン」や「インスリン」などの貴重な副栄養素の働きが損なわれてしまう欠点が多くあった。また、製品に独特の臭気があり、風味も良いとは言えなかった。特に、酵母の抽出物を用いて加工された製品の場合、吸湿性が高く、長期間の保存には適さないという問題があった。本発明者は、これらの問題点を非常に簡易な方法で解決し、これまでの欠点を克服した製品の製造に成功した。』
気が付いたこと:
・①従来技術の複雑な化学的処理により、酵母中の有効性を十分活用できていない
・②酵母独特の臭み
・③風味の問題
・④吸湿性が高く長期保存に適さない
問題点をこの段落で全て列挙して、後の発明の効果の記載に繋げることを意図しているのが分かります。
『まず酵母の洗浄方法として、本発明では、酵母に付着・混入しているホップ由来の苦味成分を取り除くために、従来のような複雑で、しかも酵母の成分を損なってしまうような方法を用いるのではなく、単に水洗いを行った後、酒布(酒造りに使う目の細かい木綿布)で何重にもろ過するという簡易な方法によって、十分に目的を達成する。』
気が付いたこと:
・先ほどの問題点①に関連します。
『次に、酵母を乾燥させるために、媒介物として麦芽粉末を用いる方法を発案した。そもそも酵母は生のままでは保存がきかず、常温に置いておくとすぐに品質が劣化・腐敗してしまうため、保存のためには完全に乾燥させる必要がある。しかし、酵母の乾燥は非常に難しく、通常の植物のように乾燥できるものではない。圧搾して固形化した酵母であっても、少しでも熱を加えるとすぐに内部の成分が流れ出し、粘り気のあるシロップ状に変化してしまい、蒸発もしにくくなるため、乾燥は非常に困難である。』
気が付いたこと:
・先ほどの問題点④について改めてフォーカスするとともに、乾燥工程がネックとなっていることを示します。
・シロップは「舎利別」と当て字されていました。なお、シロップの語源はアラビア語の「シャラーブ」(شراب; sharāb)とラテン語の「シロプス」(siropus)に由来するそうです。
参考記事:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%97
『従って、酵母は単に減圧したり温度を調整しただけでは、簡単に乾燥できるものではない。このような方法では、無駄に時間がかかり、その間に酵母が変質したり、有効成分が損なわれるおそれがある。さらに、乾燥後には硬い塊状になってしまい、その後の粉砕作業にも大きな支障をきたす。』
気が付いたこと:
・先ほどの乾燥工程が問題となり、放置しておくとさらなる弊害をもたらすことを示し、問題の重大性を示しています。
『本発明者は、麦芽粉末には水分の多い物質と接触した際に、その水分を容易に吸収し、さらに吸収した水分を簡単に放出する性質があることを確認した。また、この麦芽粉末は酵母と混ざることで多孔性の混合物となり、蒸発に有効な表面積が大きくなるため、水分の放出が非常に効率的になる。このような理屈に基づいて、本発明者は麦芽粉末を酵母の乾燥工程に効果的に利用した。』
気が付いたこと:
・発明者等が予期せぬ発見をし、これをきっかけに問題が解決できることを紹介しています。
『また、酵母を麦芽粉末と混ぜる方法についても、両方を一度に全量混ぜてしまうと乾燥の仕上がりが良くないが、酵母を少しずつ徐々に加えていけば、非常に良好な結果が得られることが分かった。さらに、媒介物である麦芽粉末を薄い層に広げる方法も有効であることを実験によって確認した。』
気が付いたこと:
・解決策の更なる具体的な説明です。
『以上の理由から考案された本発明の方法によれば、酵母の乾燥は非常に速く行うことができ、麦芽を加えずに乾燥させた場合と比べて、所要時間は大幅に短縮される。例えば、本発明の方法では1日で乾燥が完了するところ、従来法では少なくとも3~4日かかるほどである。この方法の利点は、単に時間の節約だけでなく、比較的低温でも乾燥が可能なため、栄養素が損なわれにくく、結果として酵母に含まれる有効成分をほぼ完全な状態で保持することができる点にある。』
気が付いたこと:
・解決策によってもたらされる評価を示しています。
・問題点①、④は解消することを示します。
『本方法で仕上げた乾燥物はふっくらとして柔らかく、麦芽粉末を使わずに乾燥した場合のように固くはならないため、その後の粉砕作業が非常に楽になる。乾燥の媒介物として麦芽粉末を用いるのは、酵母の乾燥を助けるだけでなく、麦芽粉末の性質によって製品に独特の香りを与え、味を良くし、酵母の臭いを抑えるというメリットもある。』
気が付いたこと:
・問題点②、③も解消することを示します。
『麦芽粉末を使う第一の理由は、前述の物理的特性を活かすことに加えて、麦芽に含まれる多くの有効成分、特に「ジアスターゼ」「リパーゼ」「プロテアーゼ」といった酵素の力を加えることで、酵母に不足している成分を補い、両者が相まってより効果を高めることを目的とする。』
気が付いたこと:
・更なる効果について言及します。
『本発明の実施例の一つを挙げると以下のようになる。
まず、泥状の酵母を酒木綿で何度も裏ごししてホップの樹脂を取り除く。次に、傾斜法を用いて水で数回洗浄し、その後圧搾してできるだけ水分を除き、固形状の圧搾酵母を作る。この圧搾酵母は約70%の水分を含んでいる。次に、麦芽粉末を薄く広げて攪拌しながら摂氏70〜75度に加熱する。この麦芽粉末の上に細かい目のふるいで裏ごしした圧搾酵母を少量ずつ加え、加熱しながら攪拌して乾燥させる。この際、酵母を一度に大量に加えるのではなく、既に加えた酵母がほぼ乾燥するのを待ってから次の酵母を加え、徐々に乾燥を進める。最終的に酵母の量が全体の70〜80%に達したところで加熱を止める。加熱方法は直火でも、前述の温度設定でも、常圧下でも減圧下でも行うことができ、減圧下の場合はさらに低い温度で乾燥できる。こうして得られた乾燥物は粉砕機で粉末にする。これを錠剤に加工する場合は、少量のグリセリンと適量のエタノール(酒精)を加え、その他適切な方法で練り合わせた後、錠剤成形機を用いて製造する。』
気が付いたこと:
・太字は請求項に対する記載要件です。(便宜的に「記載要件」としましたが、大正10年法の第72条に「審査官ハ出願ヲ拒絶スヘキモノト認メタルトキハ出願人ニ対シ拒絶ノ理由ヲ示シ期間ヲ指定シテ之ニ意見書提出ノ機会ヲ与フヘシ」とあるのみで、審査の運用上どの規定を根拠に「記載要件」の拒絶理由が指摘されるのか、残念ながら分かりませんでした。なお、新規性または進歩性の要件は第4条にそのような規定がありました。)
出典4:特許法 大正10年4月30日法律第96号(大正11年1月11日施行版)
http://nomenclator.la.coocan.jp/ip/i/patent/t110111p.htm
『本発明の方法で製造した酵母製品は、タンパク質、炭水化物、脂肪、有機酸類を含んでいる。特にタンパク質、グリコーゲン、有機リン酸が豊富で、副栄養素としてさまざまな酵素—プロテアーゼ、ジアスターゼ、マルターゼ、ホスファターゼ、インバルターゼ、リパーゼなど—やインシュリン、ビタミンB群も含まれている。特にビタミンBは強力な成分であるため、この製品は酵母の効果が特に期待される病気、例えば脚気(かっけ)、糖尿病、皮膚病、浮腫(むくみ)、便秘などに対して優れた効果を持つ。もちろん、それ以外にも消化促進剤や滋養保健剤として、幼児や病後の回復期の人、結核初期の患者の常用に適している。』
気が付いたこと:
・この記載は製法によって得られた製品の用途に関する言及です。用途まで言及することによって発明の完成形を示したことになります。
『つまり、本製品はほぼすべての栄養素を十分に含み、理想的で完全な栄養食品と言える。さらに、美味しくて嫌な臭いがなく、吸湿性もなく、長期間の保存に耐える特徴がある。これらの効果はすべて、本発明の方法によって実現されたものである。』
気が付いたこと:
・全体的に、問題を提起し、その問題を放置しておくとどうなるのか、何が解決のきっかけなのか、解決策の評価、さらに問題が解消していることを評価する、という流れで、非常にロジカルな文書だと感じました。
・また、現代では明細書中に、請求項に記載する特徴として利用可能な候補物質を全て列挙するような段落を設けることがあるのですが、本明細書においてはそのような記載がなく、ある種の「誠実さ」のようなものを感じました。
『【特許請求の範囲】
明細書中に示される、麦芽粉末を加熱しながら攪拌し、圧搾酵母を少しずつ加えてできるだけ低温で乾燥させ、その後に混合物を粉砕することで得られる栄養剤の製造方法。』
4.まとめ
90年以上続くロングセラー製品「エビオス錠」には、明治~昭和初期の日本が培った知恵と技術の結晶が息づいていることが、特許からも読み取れます。
日々の実務に追われがちな私たち特許実務家も、こうした歴史ある出願に目を向けてみると、新たな視点が得られるかもしれません。